2つの構図
今日は新作の構図を2つ作りました。
1枚はきっちりエスキースを制作(モノクロですが)。
もう1枚は大体のイメージが頭にある程度ですが、一気に描いてしまおうと考えています。
私の構図の作り方は「コラージュ」。
イメージを集めて構成。
南に住んでいた頃は、白い世界を歩く労働者や男性、倒れた椅子と女性を描いてました。
今思えば、自分の生活そのものが群像に現れていたんだなと。
当時は、自分ではなくて、社会を切り取っているつもりだったのですが。
それが太陽の下にさらされる開放的な海辺の少女群像に変化し、次に内省的な青年群像に。
北に越してからは、なかなか自分の中でいろんなことが消化できなかったのですが、
最近、ようやく北でみつけたものが作品のなかに少しずつ現れてきているように感じます。
(本人が思っているだけですが)
今表現したいのは、太陽の下でまぶしく輝くものではなくて、
澄んだ風の通る、どこまでも広がる涼しい木陰。
居心地のよい穏やかな空気が満ちた群像。
形をどこまで強くして、どこまで溶かしたらいいのか。
私はすぐ画面が甘く弱くなるのですが、
穏やかな内容のものを表現しながらも強い画面にすることに四苦八苦しております。
さて、続きをがんばろうかな。
1枚はきっちりエスキースを制作(モノクロですが)。
もう1枚は大体のイメージが頭にある程度ですが、一気に描いてしまおうと考えています。
私の構図の作り方は「コラージュ」。
イメージを集めて構成。
南に住んでいた頃は、白い世界を歩く労働者や男性、倒れた椅子と女性を描いてました。
今思えば、自分の生活そのものが群像に現れていたんだなと。
当時は、自分ではなくて、社会を切り取っているつもりだったのですが。
それが太陽の下にさらされる開放的な海辺の少女群像に変化し、次に内省的な青年群像に。
北に越してからは、なかなか自分の中でいろんなことが消化できなかったのですが、
最近、ようやく北でみつけたものが作品のなかに少しずつ現れてきているように感じます。
(本人が思っているだけですが)
今表現したいのは、太陽の下でまぶしく輝くものではなくて、
澄んだ風の通る、どこまでも広がる涼しい木陰。
居心地のよい穏やかな空気が満ちた群像。
形をどこまで強くして、どこまで溶かしたらいいのか。
私はすぐ画面が甘く弱くなるのですが、
穏やかな内容のものを表現しながらも強い画面にすることに四苦八苦しております。
さて、続きをがんばろうかな。