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高梁市歴史美術館に出掛けました


「岡山彫刻界のパイオニア 生誕100年宮本隆」展(~2020年1月20日)&関連企画「結成から現在まで 岡山彫刻会有志展」(~10月31日)の両方を拝見したく、昨日(10月28日)高梁歴史美術館に出掛けました。

岡山彫刻会は高校時代の恩師や先輩・同級生が出品していることから、ずっと観にいっているのですが、岡山彫刻会をつくられた宮本隆先生についてはお名前ぐらいしかよくわからないというのが正直な所でした。

展覧会フライヤーより*******

宮本隆は幼い頃から彫刻に親しみ、15歳で上京して、高梁市成羽町出身の彫刻家 児島矩一のもとで彫刻の基礎を習得しました。1937年(昭和12)には、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科木彫部に進学し、関野聖雲・平櫛田中などに学びました。同校卒業後は、岡山県を中心に活動し、日本美術展覧会(日展)で23回連続入選するなど輝かしい功績を残しています。そのほか、第17回国民体育大会の記念像「友情」(岡山県総合グラウンド)などの屋外彫刻や肖像彫刻を数多く手がけています。

また宮本は、1953年(昭和28)に岡山大学に新設された教育学部特設美術科助教授に着任し、彫刻を志す若者を指導しました。岡山大学退職後は岡山彫刻会を設立し、後進の育成に尽力するなど岡山彫刻界発展の礎を築きました。

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会場には12歳で手がけた見事な木彫から晩年の作品まで並んでいるのですが、お人柄が偲ばれる誠実でモダンな作品に圧倒されました。人体がとにかく美しい。大仰なポーズもなく、引き締まった手足はいつまでも観ていられます。彫刻家を支えようと、地域の方が肖像彫刻を依頼されたという話や実際に制作された木彫による肖像彫刻も優しく素敵でした。また、赴任先の中学校の運動会の優勝盾を見事に木彫りで作られていたり(現在も使われているというのがまた素晴らしい)、平素の仕事でも自分の力を精一杯つかわれていたことにも感銘を受けました。

こんなに素晴らしい作品を残され、教職にも熱心にとりくまれているのに、どうしてあまり拝見する機会がなかったんだろうと不思議な気持ちにさえなりました。

作家活動をしていると、「良い風が吹く」時があります。
風にのってどんどん進めることもあれば、風が吹かないこともあります。
風を自分で起こす作家もいるでしょうし、風を必要としない作家もいるかもしれません。
宮本先生はどういう作家さんだったのかは想像するしかないのですが、展覧会を拝見してはっきりと分かったのは、誠実な良い作品を残すことがすべてだなということです。

展覧会を観終えて、胸の中に良い風を沢山いただきました。
日展の搬入が終わってからしばらくは滞っていた仕事を片付けたり、展覧会に足を運んだりとのんびりすごしていましたが、そろそろ制作したくなりました。

まずはアトリエにあるハヤトウリをモチーフにしてみようかな。



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