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展示をして。

おはようございます。
昨日はしとしと雨が降っていましたが、今朝は清々しく晴れ、気分も軽やかです。


さて、5月30日は第45回岡山光風会展の搬入・陳列でした。展示では多くの方にご協力いただき、スムーズに作業も終了、外がまだ明るい時間に北上もできました。

コロナ禍で2回も展覧会が中止となり、久々に大きな会場で仲間と協力しての展示。
実家の2階にしまいこんでいた作品も、綺麗な会場に並べることができ、伸び伸び呼吸をしているようです。やはり絵は飾ってこそですね。特に大作は広々とした場所で観てはじめて気づくことがあります。今回並べてみて、つくづく「私の制作って日記みたいなものだなぁ」と思いました。

今日は、それぞれの作品を比較しながら、思ったことを文字にしたいと思います。長文になるので、お時間があるときにのんびり眺めていただけたら嬉しいです。

・・・・・

今日のブログ、最初の写真は第2展示室の壁面。2009年、2015年の作品を並べたもの。
左の作品は「これで海辺の群像は最後だ」と決めて描いた大作。
右の作品は「山に来て新しく出会ったものをこれまでと違う方法で描こう」と思って制作した大作。

これらの作品には6年の隔たりがあり、現在から数えれば13年~7年も時間が経過しています。
もうこんなに時間が過ぎたのかと驚きつつ、ようやく客観的に作品を観ることができる時がやってきたことに、どこか嬉しい気持ちもあります。

2点にはいろいろな違いがあります。
〇登場する人間の数。
〇色の扱い(発色等)。
〇構図の作り方・・・etc。

一方共通点もあります。
〇制作スピード(どちらも短期で描き上げました)。
〇右へ向かう人。
〇登場する色(レモン色~グレー~ペールブルー)。



白で画面を抑え込む描き方から何とか抜け出したいと思っていた頃に、遠くの山まで鮮やかに見える山間部に引っ越しました。これまでとは違うものの見え方に対応するため、絵の具の扱いやタッチをどうしたものかと四苦八苦していました。…未だに苦労していますが。

2015年の作品は、山に暮らしの中で「秋の枯れ草は澄んだ空気の中で黄金色に輝いて見える!ひょっとして植物はこの瞬間のために生きているのではないか」と感動したこと、こちらに越してから仲良くさせていただいている女性の美しさ、その女性が誰もいない枯れ草が広がる秋のスキー場で「誰にも見つかりたくない、私だけの場所でお茶を飲んだりしながら、静かに暮らしたい」と話してくれたこと等がベースとなった作品です。自分がこれまで使わなかった鮮やかな黄色、固有色としての黒を使って、これまで以上に大きなタッチで「黄金色に輝いて見える」美しい世界を再現したいと思って制作しました。

しばしば「未完成ではないのか」と言われる私の作品の中で、最も「未完成」と評価される回数が多かった作品。その時は「これ以上描けないと思って筆を置いたのに、これ以上どこを触ればいいのか」「完成度って一体何なんだ」「自分の感覚はおかしいのか」と随分悩みました。

そんな中、最近彫刻する機会をくださっている恩師が、ある日小さな立体を作っている際「いつも絵でやっているみたいに、いい塩梅で作るのをやめるといい」と助言をしてくださったことが。
「え?私の絵いい塩梅に見えます?」
「おう。おめぇは描き込まずに絵の具をふわっとかけて終わらす。ああいうふうに洒落た感じにしようと思っても、つい(自分の作品を)いじりすぎてしまうんじゃ」
そんなふうに観て下さる人もいるんだなぁと嬉しくなったことが、長い停滞期から一歩踏み出す切欠になったような気がします。
・・・そんな話を夫にしたら「そんなことと闘っていたのか、もっと描かなくてもいいぐらいだと思うけど。○○さんを描いた(2015年の)絵が傑作だと思う」と一言。そこで本作を自選展に出品すると決めました。

また、第1展示室、入って正面の壁には昨年の光風会展に出品した「向かう」が並んでいます。


コロナ禍で、長期にわたりモデルさんを拘束する訳にもいかなくなりました。
そこでコロナが明けるまでは「自分をモデルにする」「アトリエで完結できる制作にする」という縛りを設けて、これまでと全く違く制作をすることを目標に描いてみた作品の中の1点です。

ベタっとした黒、透明感のない白、荒い輪郭線。
太陽の光が入らない山間部の冬。吐く息も凍る空気。長靴で踏みしめる雪。身体に力を入れて歩く、音のない世界。

長く苦しいコロナ禍が、どれほど自分にダメージを与えていたのか、今ならよく分かります。何とか明るい作品をと思えば思うほど、硬く重くなる色。きっと皆さんもここ2年半ほどそういう気持ちだったことでしょう。
今見ると自分でも苦しくなる絵です。会場にパネルで展示している今年の作品や、自選展・小品展の作品と比較していただくと面白いのではと思います。

第1展示室小室には自選展出品作のうちの1点「家族・路」が展示されています。こちらは2006年制作。

去年の作品と比較して眺めると、発色、タッチ、色調等、随分異なります。
背景の色調にかなりこだわって描いていて、おそらく人物に向かう時間の10倍以上の時間が背景に費やされています。使用している筆も細目。いろんな色を重ねています。

この作品は「家族全員を絵に残しておこう」と思って制作した作品。飼っていたペットも総出演。祖母、父、母、妹、それぞれのしぐさや位置も自分にとっては意味がある場所へ。私も入れなきゃ総出演にならないなと、犬のそばを歩く足だけで登場。祖母を描いた最期の一枚となりました。群像を縦に組み立てて、家族の時間軸が表現できたらと考えました。本当に自分のためだけの、日記のような、記念写真のような作品です。
ちなみに、この年は他の作品とあわせて2点光風会展に出品し、その結果一週間で仕上げた方が会場に並び、こちらは陳列されずに戻ってきました。この頃から「どうやら短期間でまとめた方が私の作品は良いみたいだ」と勘違いするようになり、夏休みの宿題を最後の3日間で仕上げるような制作スケジュールに移行したような気がします。いい意味でも、悪い意味でも。
この作品の隣には大学時代の恩師福島先生の昨年の日展の作品が展示されています。とても色鮮やかで活力に満ちています。構成も色調も対称的でとても勉強になりました。

そして、最後にご紹介するのが、昨年取り組んだ新聞の挿絵のための小品。
季節のことを考えながら小さな作品を毎月仕上げることで、外へ気持ちが向かい、昨年1年間は普段描かないものにも取り組むことができました。その中でも気に入っている作品「赤い実ひらく」です。


気に入りすぎて、今年1月の「福寿草の会」、5月の「作東美術展」にも出品した作品。
好きな赤の色味が出せたこと、背景の模様が好きな感じで省略・強調できたこと、とにかく自分らしい明るい色調でまとめられたことが理由です。

今年の企画展「岡山光風会小品展」では一般の方にもご参加いただいています。皆さん明るくて楽しく、真剣です。その中に混ぜていただいて、絵も喜んでいるように感じました。

繰り返しになりますが、つくづく私の絵は「日記」であり、私の絵に光や色が生まれるのは、外の世界や、私ではない人々の存在があるからで、それらを通してでしか、自分の表現ができないということを、今回の展示で再確認しました。

自分のブログとはいえ、自分のことばかり書いてしまいました。
当然のことですが、出品している各作家にストーリーがあり、すべての作品がその中で生まれたものです。それぞれの「最新作」「自分で選んだ作品」「小品」を比較しながら、ひとり一人のストーリーを想像しながら観ていただけると、さらに会場を楽しんでいただけるのではないでしょうか。

開場時間は9:00~17:00、会期は6月5日(日)15:00までとなっております。
私も水曜日の日中、短時間なのですが会場に居ります。
どうぞよろしくお願いいたします。

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