つくること・残すこと①
SNSやブログでも時々触れてきたと思うのですが、今、大学時代の恩師の作品整理に携わっています。
作品保存を第一目標にして作業を進めているので、使われていた画材はアトリエから運び出し、先生とご縁の深かった方にお渡ししています。
喜んで持ち帰っていただけるのは、単に使えるからだけではないことは明らかで。
昨日は長くお付き合いのあったカルチャーの受講生の皆様に画材をお渡ししました。
使えるものの他に、きっとお亡くなりになる寸前まで使われていたであろう絵筆や、中に入っている色を先生がペン書きした絵の具の紙箱、愛用のパステルの箱(もちろんそれも先生のペン書きメモが残っています)も一緒に。
確かに存在していたという痕跡に触れることは、時間と空間も蘇ること。何だか特別な儀式のような空気になります。
さて。
残された作品をどうするかという難題への取り組みも1年を越えました。
それは、途方もない時間と労力を伴い、且つ、複数で進める作業。
人との関わりや意見の調整も必要となります。
当然、自分の時間も、ささやかな私の脳のキャパの大部分も占領する大作業なので、「何という課題を残して旅立たれたのだ…」と途方に暮れたり、諦めの気持ちになったり、腹が立ったりと、情緒不安定になることも、しばしば。
それでも、投げ出さずに続けているのは、単純に私が完璧主義なだけではなく、整理をしながら恩師の思考過程を間近に拝見することができるから。そして、昔のスナップや作品群に触れることで、過ぎた時間の手触りを感じ、新しい発見があるから。
自分も絵を描くという行為が単純に好きで、先生ほど整理できていないものの生きた時間分確実にものを残しています。先生の作品の行く末を考えたりすることで、これからの自分がどうあるべきかを考えることができました。
ただ、いつまでも時間の旅を楽しむ訳にはいかない。そろそろ退き時です。
それを見誤らないためにも、この1年の活動を少しずつ記録に残す作業をすることにしました。
特定の個人や団体については極力避け、今まさに残された作品群の前で途方に暮れている方、そうなりそうな方々の助けになるような内容にできたらと思っています。
ちなみに。
作品整理に苦心する私を見て、実家の父は「とにかくお前も作品を残すなよ。早めに片付けろ」と言ってきます。まだ先だ、と思ってカラ返事をするのですが、きっと多くの人が「まだ先だ」と思いながらその日を迎えるのでしょうね。