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洋画家 森下修三先生のこと

前回のブログをアップした後、高校時代の恩師森下修三先生の訃報が。

ギャラリーの人々を描く近作のシリーズでは、いつも私の作品を入れて下さっていました。ギャラリートークをする私の後ろ姿を入れて下さった作品もあります。
(作品写真は岡山光風会HPより転用:この作品では一番左に私の作品が画中画として入っています)

初めてお会いしたのは高校の推薦入試の時。私が受験したのは美術工芸コース(現在は美術工芸系)のある開学間もない県立高校でした。目の前に座られた面接官が森下先生でいろいろな質問をされました。最後にコース志望理由を聞かれ「美術の教員になりたい」と話した時、目を大きく開き、前のめりになられ「大変ですよ~!」と言われたことは鮮烈に覚えています。

先生は基本的に優しくて褒め上手な方でしたが、遅刻には大変厳しい方でした。1年時の写生旅行説明会に遅刻した際、教室にすぐ入れていただけず大声で叱られたことがあります。ものすごい勢いだったので半泣きになりそうでしたが(実際私よりあとに来た女子生徒は泣いていました)、おかげで絶対に集合時間を守るようになりました。後にも先にも叱られたのはこれだけ…、いや、数年前もグループ展の飾りつけのサポートをしている時、釘を打ち込む場所の確認が甘くてしっかり見るように言われたような気がしますが、遅刻の時の比じゃないですね。

新設校の準備から美術工芸コースを軌道に乗せるまで尽力された先生は、その後中学校の教頭をされ、最後は生まれ育った地の校長をされました。制作活動は校長になられてから本格的に再開されたように記憶しています。「教頭の時ははとてもじゃないけど制作はできなかった、校長になって少し時間ができたんじゃ。あんたが頑張っているからわしも頑張ろうと思って」と光風会に出品されるようになられ、去年の夏までは年に数回はお会いしていました。

私のよううなものにも、折に触れてお手紙をくださったり、遊びに行けば必ずアトリエを見せて下さり、時には現在進行中のご自分の作品についての意見をたずねられたり。私が修了論文で学校建築を調べているという話をすれば、県庁で担当をされている方をご紹介してくださったり、ご自宅の柚子を分けてくださったり…。

思い返せば私の人生の様々な場面に先生がいたわけで、次から次へと思い出が蘇ります。

長く闘病をされていたので、それなりの覚悟をしていたものの、やはり別れはさみしいもので。

さみしいけれど、子どもの頃のようにひたすら寂しくて辛いのではなく、今もずっと自分の中で生きていらっしゃっると強く実感できます、不思議なもので。旅立たれてますます近くに感じる…。歳を重ねた自分が無意識に身につけた、自分の心を守るための機能なのかもしれないですが。

先生のように理知的に(時にズバッと核心をつく本音もちゃんといいながら)、誠実に、清潔に、幅広い世代の人と分け隔てなくつながりながら、これからの人生を歩みたいです。うん、頑張ろう。

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